2011年9月11日(日)
夜10:40を過ぎたころだったと思う。僕の乗っている飛行機はキエフのボリスポリ空港に到着した。朝の9:30に関西国際空港を出発し、2度の乗り換えを行うというハードなフライトだったが、人生初めてのフライトはこれでひとまず終了となった。
気圧の差で耳が痛くなり、地上にいる今も痛みが残っているが、無事着陸したことに安堵の気持ちが湧いてきた。
あとはアルトゥールと無事に会うことができさえすれば。
僕と彼に飛行機の便名と到着時刻を伝えていた。
お互いの連絡先と顔も分かるようにしておいたが、これまでに一度も会ったことのない仲なので、最後まで気を抜けない。
荷物も無事に届いていた。キャリーバックを転がしながら出口へと向かう。
手にはアルトゥールからもらった誕生日カードが入った封筒を持っている。
僕を見つけやすくなると思ったからだ。
ゲートの向こう側には、僕たちと同じように誰かを待っている人たちが通路に沿って立っていた。
その人たちの顔を写真で見た顔と照らし合わせていく。
思ったよりも彼は早く見つかった、彼もすぐに僕だと分かったらしく手を振った。
"Nice to meet you!"とハグで挨拶。
"How are you?"と彼が尋ねる。
"A little tired"と返事する。
僕の英語の能力はそこまで高くないが、始めの感触は上々である。
しばらくすると、アルトゥールの父親ヴィクトアがやってきて、握手をした。
彼は写真で見るよりも大きかった。
空港からはキィーヴ市内にあるアルトゥールの家まで車で送ってもらう。
バッグをトランクに積んでもらうと、ヴィクトアは運転席、僕は助手席に乗せてもらい、アルトゥールは後部座席に座った。
アルトゥールは大学から近い祖母の家に住んでいて、両親と弟のジョージとは別に暮らしている。
アルトゥールは中学生くらいの年のころにアメリカにいた帰国子女、ヴィクトアもアメリカの大学に通い、仕事でアメリカに滞在したこともあるため、英語での会話が可能である。
日本とはすでに違う車外の風景を眺めながら彼らと会話を交わした。
僕は基本的に聞く側で、建物や橋についての説明について話してくれた。
ウクライナの風景は日本とどこか似ていてどこか違うとそのとき思った。
もちろんハイウェイの道路はアスファルトで、道路のわきには広告看板が建っている。
けれど電灯のポールがかなり高く、それらが短い間隔で並んでいるのである。
遠くの別の度道路を見ると、ややオレンジがかった電灯の明かりが高いところで横一列に並んでいて、イルミネーションのようにきれいだと思った。
この様子をデジカメで撮ろうと試みたが、ぶれてしまって上手くいかなった。
車の中では割と楽しく過ごせられた。
英語を完全に聞き取ろうとするのではなく、全体で何を言っているのかを理解しようとすれば、聞き取れないところがあっても大丈夫だった。
まれに何度説明してもらっても分からずじまいのこともあったが。
アルトゥールの住むマンションの駐車場に車を停めてもらい、ヴィクトアとはここで別れた。
アルトゥールがキャリーバッグを持ってくれた。
いろいろしてもらうのも悪いので、自分でやるよとは言ったのだが、そこは「いいよ、いいよ」といった感じでお言葉に甘えることになった。
外の空気は寒く感じた。気温は10℃くらい。
日本はまだまだ夏の暑さがピークを過ぎたといっても残っていて、僕は半そで半ズボンで過ごしていた。
日本を出発するときは向こうの寒さに備えて少し暑く感じた薄手のズボンと長袖Tシャツを着て来たが不十分だった。
だからといっても服はキャリーバッグの中にあるので家まで我慢した。
家の玄関の扉を開けると薄暗かった、アルトゥールが祖母のルーダを呼ぶ。
辺りを見回していて視線をよそに向けたときにやってきていて、気付いたら目の前にいて面食らった。
ルーダともハグで挨拶を交わした。
簡単な挨拶を済ませると、彼の部屋に案内された。
今日から数日間、ここに滞在する予定だ。もともとアルトゥールの部屋で、ここで共同生活を送る。
それからはウクライナの他の都市を旅行していくプランを彼と相談して決めていこうと思っている。
ルーダは夜遅いのにもかかわらず、お茶の用意を始める。
僕はあまりお腹が空いていなかったので、あまり乗り気ではなかったのだが、せっかくもてなしてくれるのを断ることはできなかった。
部屋のテーブルには、山のように食べ物が用意されている。
パン、チーズ、ソーセージなどである。
ひと通り試してみたが、どれも日本のものと微妙に味が違う。
でも美味しかった。
ソーセージはフィニキ・ソーセージという、フィンランド生まれのものだった。
皮は固くて食べにくいので歯で皮を剥ぎとって食べる。
お茶はレモンティーがでた。
アルトゥールは日本に興味を持っていて、ときどき日本のドラマやアニメを見る。
日本語を少し知っていて披露してくれたが、朝は「おはようございます」、夜は「こんばんは」、ひるは「がんばれ」と言われ本気で笑った。
僕は「がんばれ」の正しい意味を教えた。
アルトゥールは日本人がよくこの言葉をよく使うことはすでに知っていた。おそらくドラマやアニメから得た知識なのだろう。
お茶をいただいた後は、夜も遅いので歯を磨いてシャワーを浴びた。
歯を磨くために部屋を出たのだが、ここ家に洗面所といものはなかった。
シャワー室らしきところに入ると、洗濯機が正面に、その隣にバスタブが置いてあるのみである。
シャワー室の浴槽を洗面所として使っていた。
歯を磨き終わったら、いったん部屋に戻ってシャワーを浴びる準備をする。
アルトゥールに「がんばれー」と上機嫌で言われ、ずっこけそうになった。
何をシャワーで頑張るんだと思って服を脱いでいざシャワーを浴びようとしたとき、どうやってシャワーを浴びたらいいのか分からないことに気付いた。
シャワーと蛇口の切り替えの仕組みが日本と違ったのだった。
それにどれがシャンプーでボディーソープなのか分からない。
アルトゥールを呼んでシャワーの出し方を教えてもらった。
蛇口の根元にある栓を引っ張ると、シャワーになることが分かった。
結果としてアルトゥールの言った「頑張れ」は間違いではなかった。
夜10:40を過ぎたころだったと思う。僕の乗っている飛行機はキエフのボリスポリ空港に到着した。朝の9:30に関西国際空港を出発し、2度の乗り換えを行うというハードなフライトだったが、人生初めてのフライトはこれでひとまず終了となった。
気圧の差で耳が痛くなり、地上にいる今も痛みが残っているが、無事着陸したことに安堵の気持ちが湧いてきた。
あとはアルトゥールと無事に会うことができさえすれば。
僕と彼に飛行機の便名と到着時刻を伝えていた。
お互いの連絡先と顔も分かるようにしておいたが、これまでに一度も会ったことのない仲なので、最後まで気を抜けない。
荷物も無事に届いていた。キャリーバックを転がしながら出口へと向かう。
手にはアルトゥールからもらった誕生日カードが入った封筒を持っている。
僕を見つけやすくなると思ったからだ。
ゲートの向こう側には、僕たちと同じように誰かを待っている人たちが通路に沿って立っていた。
その人たちの顔を写真で見た顔と照らし合わせていく。
思ったよりも彼は早く見つかった、彼もすぐに僕だと分かったらしく手を振った。
"Nice to meet you!"とハグで挨拶。
"How are you?"と彼が尋ねる。
"A little tired"と返事する。
僕の英語の能力はそこまで高くないが、始めの感触は上々である。
しばらくすると、アルトゥールの父親ヴィクトアがやってきて、握手をした。
彼は写真で見るよりも大きかった。
空港からはキィーヴ市内にあるアルトゥールの家まで車で送ってもらう。
バッグをトランクに積んでもらうと、ヴィクトアは運転席、僕は助手席に乗せてもらい、アルトゥールは後部座席に座った。
アルトゥールは大学から近い祖母の家に住んでいて、両親と弟のジョージとは別に暮らしている。
アルトゥールは中学生くらいの年のころにアメリカにいた帰国子女、ヴィクトアもアメリカの大学に通い、仕事でアメリカに滞在したこともあるため、英語での会話が可能である。
日本とはすでに違う車外の風景を眺めながら彼らと会話を交わした。
僕は基本的に聞く側で、建物や橋についての説明について話してくれた。
ウクライナの風景は日本とどこか似ていてどこか違うとそのとき思った。
もちろんハイウェイの道路はアスファルトで、道路のわきには広告看板が建っている。
けれど電灯のポールがかなり高く、それらが短い間隔で並んでいるのである。
遠くの別の度道路を見ると、ややオレンジがかった電灯の明かりが高いところで横一列に並んでいて、イルミネーションのようにきれいだと思った。
この様子をデジカメで撮ろうと試みたが、ぶれてしまって上手くいかなった。
車の中では割と楽しく過ごせられた。
英語を完全に聞き取ろうとするのではなく、全体で何を言っているのかを理解しようとすれば、聞き取れないところがあっても大丈夫だった。
まれに何度説明してもらっても分からずじまいのこともあったが。
アルトゥールの住むマンションの駐車場に車を停めてもらい、ヴィクトアとはここで別れた。
アルトゥールがキャリーバッグを持ってくれた。
いろいろしてもらうのも悪いので、自分でやるよとは言ったのだが、そこは「いいよ、いいよ」といった感じでお言葉に甘えることになった。
外の空気は寒く感じた。気温は10℃くらい。
日本はまだまだ夏の暑さがピークを過ぎたといっても残っていて、僕は半そで半ズボンで過ごしていた。
日本を出発するときは向こうの寒さに備えて少し暑く感じた薄手のズボンと長袖Tシャツを着て来たが不十分だった。
だからといっても服はキャリーバッグの中にあるので家まで我慢した。
家の玄関の扉を開けると薄暗かった、アルトゥールが祖母のルーダを呼ぶ。
辺りを見回していて視線をよそに向けたときにやってきていて、気付いたら目の前にいて面食らった。
ルーダともハグで挨拶を交わした。
簡単な挨拶を済ませると、彼の部屋に案内された。
それからはウクライナの他の都市を旅行していくプランを彼と相談して決めていこうと思っている。
ルーダは夜遅いのにもかかわらず、お茶の用意を始める。
僕はあまりお腹が空いていなかったので、あまり乗り気ではなかったのだが、せっかくもてなしてくれるのを断ることはできなかった。
部屋のテーブルには、山のように食べ物が用意されている。
パン、チーズ、ソーセージなどである。
ひと通り試してみたが、どれも日本のものと微妙に味が違う。
でも美味しかった。
皮は固くて食べにくいので歯で皮を剥ぎとって食べる。
お茶はレモンティーがでた。
アルトゥールは日本に興味を持っていて、ときどき日本のドラマやアニメを見る。
日本語を少し知っていて披露してくれたが、朝は「おはようございます」、夜は「こんばんは」、ひるは「がんばれ」と言われ本気で笑った。
僕は「がんばれ」の正しい意味を教えた。
アルトゥールは日本人がよくこの言葉をよく使うことはすでに知っていた。おそらくドラマやアニメから得た知識なのだろう。
お茶をいただいた後は、夜も遅いので歯を磨いてシャワーを浴びた。
歯を磨くために部屋を出たのだが、ここ家に洗面所といものはなかった。
シャワー室らしきところに入ると、洗濯機が正面に、その隣にバスタブが置いてあるのみである。
シャワー室の浴槽を洗面所として使っていた。
歯を磨き終わったら、いったん部屋に戻ってシャワーを浴びる準備をする。
アルトゥールに「がんばれー」と上機嫌で言われ、ずっこけそうになった。
何をシャワーで頑張るんだと思って服を脱いでいざシャワーを浴びようとしたとき、どうやってシャワーを浴びたらいいのか分からないことに気付いた。
シャワーと蛇口の切り替えの仕組みが日本と違ったのだった。
それにどれがシャンプーでボディーソープなのか分からない。
アルトゥールを呼んでシャワーの出し方を教えてもらった。
蛇口の根元にある栓を引っ張ると、シャワーになることが分かった。
結果としてアルトゥールの言った「頑張れ」は間違いではなかった。
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