ソビエトの名残

公園の中に広場のようなところがあり、そこにはステージや、小さな子どもが楽しめそうな遊園地のアトラクションのようなものがたくさんあった。
今週の土曜日にお祭りが行われるためで、人々はその準備を行っているのである。
僕たちも土曜日に再びイルピンに行くのか聞いてみたら、祭りには酔っぱらいがたくさんいて、しかも日本人の君は目立ってとても危険だとアルトゥールに言われた。

公園の敷地内を歩いていると、戦車が飾られているところがある。
旧ソ連式のもので、アルトゥールは僕に「写真を撮ってあげようか?」と聞いてきた。
僕は単純におもしろそうだったので、戦車の上に乗って写真を撮ってもらった。
この写真をアルトゥールに見せたら、笑っていた。

ウクライナには親ロシア派の人と反ロシアの人がいて、地理的な理由から東はロシア寄り、中部から西はヨーロッパ寄りとなっている。
アルトゥールは反ロシアの人間なので、ソ連式の戦車を踏みつけて立っている僕の様子は痛快だったらしい。

公園の隅にはレーニンの像が建っている。
旧ソ連時代、ソ連政府はウクライナの土地をいくつかの地区に分けた。
その地区ごとには1つ中心となる街が決められ、そこにレーニンの像が置かれるようになったのだという。
イルピンもその1つで、市役所の前にレーニンが置かれていた。
しかし、ソ連崩壊後イルピンは今後ロシアの言いなりにはならないというメッセージを込めてレーニンの像を公園の片隅に移動させたそうだ。

僕はウクライナやロシアの歴史についての知識が乏しいので、無条件にロシアを非難することはできないが、これまで話を聞いてきた限りでは、ソ連は多かれ少なかれウクライナ人の反感を買うようなことをしてきたのは確からしい。

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