イラ再び

2011年9月23日(金)

朝(昼前?)に起きると、アルトゥールに「昨日の晩、何か寝言を言っていた」と言われた。
昨夜見た女の子の名前を覚えようとしていたのかもしれない。

今日もイラに会った。
昼過ぎにマイダン・ネザレージュノスティで待ち合わせ、レストランに入った。
イラは昼食をとり、アルトゥールと僕は、朝食が遅かったので飲み物で済ました。

こちらに来てから、アルトゥールにおごってもらってばかりである。
ATMから400フリブナ(4000円相当)下したのに、まだ財布に200フリブナ残っている。
彼にはだいぶ借りを作ってしまった。
もちろん、いつか恩に報いようと思っているが。

アルトゥールとイラは見ていて本当に仲が良さそうだ。
付き合っているわけではないが、よく電話するし、一緒に散歩もするし、こんな風にご飯にも行く。
本当にイラはよく喋る。

レストランを出てしばらく歩くと、イラは仕事があるというので別れた。
数回会った程度だったが、ハグをして別れることができたので、友達として認められたようだ。

特集:日本では見られないだろう、ウクライナの日常風景

写真を見返していたら、ウクライナに来たばかりのときはショックだった光景があったので紹介する。

ストッキングと女性用下着の路上販売
アルトゥールの通う大学の最寄駅にあった。
ターゲットは学生だろうか?
10フリブナ(100円程度)というお手頃価格。

歩道に駐車
キィーヴ市内に駐車スペースは存在せず、車はみんな歩道に乗り上げて停められている。
歩道がかなり広いので、歩行者の妨げになるわけではないが、段差を乗り上げたときに車体が傷つくのは気にならないのか?
高級車であってもお構いなし。

食後のチャイの時間

とある日のチャイの様子
手作りのいちごジャムとレモンティー
晩御飯の後はいつもレモンティーを飲みながら、音楽番組を見たり、アルトゥールと雑談をして過ごしている。

Facebookは世界のどこに行っても知らない人はいないが、ウクライナではそれに加えて東欧を中心にしたSNSサービスが有名らしい。
日本でいうmixiのような存在である。
ちょっとアルトゥールに見せてもらうと、中身はmixiとは大分違う印象を持った。

Facebookと比べて、仲間内で楽しめるため、写真がかなりオープンなのである。
アルトゥールの友人のプロフィール写真を見ると、男なら上半身裸で鍛え上げられた肉体美を披露していたり、女性なら水着だったり、モデルばりにポーズを決めていたりした。
周囲に見せつける行為を憚る文化がある日本とは対照的だった。

これまで紹介してくれた友達の写真を見せてくれたが、ほとんど覚えていなかった。
ウクライナに来たばかりに大学で多くの友達に会わせてくれたが、数が多すぎた。
今度会ったときのためにと、顔と名前を一致させるようにしばらく頑張ってみた。

これは好みが分かれる

ルーダの作ってくれる食事は、1日のうちで大きな楽しみの1つだった。
アルトゥールがときどき冗談で、
「もしキィーヴにとどまらず、1人で旅行していたら、No Luda, No foodだ」
などと言っていた。

家に帰るといつものごとく空腹だった。
いつもどおりトマト、パプリカが並べられているなかに、
今晩は器に茹でたレバーが山盛りになっていた。
個々のレバーがひと口で食べきれないほど巨大だった。

アルトゥールはレバーが嫌いで、
「これだけは食べ物とは思えない」
とこぼしていた。

とりあえず1つ取って食べてみた。
不味くはないが、少し味気がなかった。
自分の好みで塩コショウを振らなければならない。

アルトゥールはやっとのことで、レバーをひとかたまり、僕は3つ平らげたが、器の中は半分減った程度でだった。

余ったレバーは翌朝レバーペーストになって再び出てきた。

風車のあるところへ

マルシュルートカはどんどん進んでいく。
先週末も同じ道を通っていたことを思い出した。

大通りをそれ、両側に背の高い木々が生い茂った道を走っているとき、急にバスの後ろの席から男性の怒ったような声が聞こえた。
どうやら、運転手は目的地を素通りしていたようだ。
その男性に続いて僕たちもバスを降りる。
「風車公園」までは歩いて行かなければならない。
アルトゥールが気にしていたのは、バスの運転手のうっかりではなく、怒っていた男性の方だった。
彼の言葉づかいは非常に乱暴で、これもソ連時代の負の遺産なのだという。
誰も丁寧な言葉遣いをしないらしい。

お目当ての施設は、17:00までに行かないと入場券を買うことができなくなるなる。
あと5分しかなかったので、少し走った。
ゲートの前に着いたとき、受付は閉まっていたが、アルトゥールが係員と交渉して開けてもらった。
ギリギリ間に合ったようだ。

この場所の名前が分からず申し訳ないが、ウクライナの伝統的な農村風景が再現された場所で、とてもいいところだった。
なだらかな丘陵地にぽつぽつと風車が建てられている。
これは麦を脱穀するために使われ、実りの時期には周囲が麦の穂で覆い尽くされていたことだろう。

余談だが、ウクライナは人口の割に土地が非常に多く、昔の農家は他の農家とは離れ離れになっていたらしい。
そのためウクライナが侵略された場合、みんなで協力して国を守るという概念がなく、簡単に占領されてしまったらしい。
しかし、ソ連の時代になると、団結しないと自分たちの文化を滅ぼされてしまうため、協力しあう文化が生まれたのである。
この傾向は現在まで続いているのだという。

こちらは伝統的なウクライナの家
と、家畜小屋。
藁葺屋根でどこかしら日本のものに似た趣がする。

木製の教会
とにかく広々として、開放的な気分になる。



Oh My マルシュルートカ

マルシュルートカとは、ウクライナで一般的な乗合バスのことである。
今日はこれを利用して、日曜日に行くことのできなかった風車のある場所(名前は分からない)に行くことに。

前回はアルトゥールの家族と車で直行だったが、今回はメトロで行けるところまで行き、途中でマルシュルートカ(以後バス)に乗り換えることに。

メトロで目的地に着いたところまでは順調だった。
地上に出ると、バスターミナルらしきところに来たのだが、お目当てのバスが見当たらない。
バスが停まっている辺りを一周してみたが、見当たらない。
アルトゥールは前にこの辺りでバスを見たことがあると言った。
バスの番号を教えてもらい、一緒に探してみたが駄目だった。
ウクライナでは、バス停のないバス乗り場というものがあり、どこに停まるのかは地元民のみぞ知るらしい。
確認のためアルトゥールは他の人に聞いてみたが、確かにこのあたりに普段はバスが来るらしい。
ただし本数が非常に少ないようだ。
日本のな時刻表というものも存在しなくて、何分間隔でバスが来る程度しか表示がない。
しかも、本当にその間隔で来る保証もない。
ウクライナの交通システムの脆弱さを思い知った瞬間だった。

2人で途方に暮れていたら、ようやくバスがやって来た。
マルュートゥカというのは、見た目はミニバスだが、降りたいところで運転手にひと声かければ、好きなところで下してくれるタクシーのような一面も兼ね備えた乗り物である。
値段は2.5~3フリブナくらい(30円程度)でお金は運転手の手元に勝手に置いていく。
後ろの座席の人は、お金を前の人に渡して運転手まで運んでもらうのがここのスタイル。
にわか旅行者には少しレベルが高い乗り物だろうか。

僕がウクライナを旅行しているとき、マルシュルートカという曲名の音楽が流行っていた。

アルトゥールの部屋で音楽番組を見ていたら、頻繁にこれが流れていた。
内容は全く分からないが、演出の奇抜さに惹きつけられた。
日本ではこれは過激な部類に入ると思ったので、文化の違いも感じた。
この動画を見て、ウクライナ人がどのような人種か大体分かるだろうが、ボーカルのいかついオッチャンのような人は街中ではあまり見かけなかった。
どちらかというとアルトゥールのように細くてとても長い人間が多い。
アルトゥール曰く、この歌は「マルシュルートカは犬小屋のようなものだ」などと、乗り合いバスを面白おかしく歌ったものだという。

お湯が出なくても

2011年9月22日(木)
昨夜は遅くまで起きていたので、朝にシャワーを浴びることになった。
数日前から家の水道管が故障したため、お湯が出ない状態が続いている。
そのため、シャワーをするときには、ルーダがお湯を沸かしてくれる。

シャワー室の浴槽には、指を入れると熱いと感じる程度のお湯が入った2つの洗面器が置かれている。
これを水で薄めて体を洗うのだ。
最低限のお湯で髪を濡らし、シャンプーをつける。
すすぐときもお湯を少しずつ頭にたらしてできるだけ泡を落とす。
慣れてくると体を洗い終わったあとに、少しお湯が余って、体を温めるためだけに使えるようになった。
どんな状況でも人間生きていけるのだと、嬉しくなった。