特集:ウクライナとその周辺諸国との関係

ウクライナはロシア、ハンガリー、ポーランド、スロバキア、ルーマニア、モルドバ、ベラルーシの7か国に囲まれている。
アルトゥール曰く、ウクライナはこれらの国の多くと良好な関係を築いているが、特にポーランドとは、仲が良いらしい。
過去にポーランドに支配されていただけでなく、言語的にも似ている。
ポーランド語はキリル文字で書かれていないので、一見全く別の言語に見えるが、ウクライナ人がポーランド語をマスターするのは簡単らしい。

唯一嫌悪感を抱いている国はロシアである。
これはアルトゥール個人の価値観が入り込んでいるため一概に判断できないが、旧ソ連時代からウクライナ人が受けてきた恨みは根強いようだ。
事実、旧ソ連時代の政策により、多くの国民が虐殺されたためである。

ウクライナは地域によって親露、反露の傾向が表れている。
地理的な影響から、東側は親露、西側は反露、すなわち中央ヨーロッパ諸国寄りとなっている。
本当かどうか知らないが、ウクライナ東部の街、度に着くの人々はウクライナ語を使うのを嫌うらしい。
アルトゥールは彼らに対して快く思わないようだ。

独立して20年経った今でも、旧ソ連時代の弊害は経済、政治面で色濃く残っている。
徐々に改善されていくだろうと思うが、汚職や、ロシアのお顔色を伺いながらの政治など、まだ課題残っている。

食べる楽しみ

長い距離を歩いた後の食事は最高である。
見た目によらず大食いの僕としては、たくさん食べさせてもらえるのは大歓迎である。
今晩は茹でたジャガイモが4つくらい出され、バターを付けて食べた。
他にも、トマト、パプリカ、サーロ、黒パン、オリーブを食べ、コロナビールを飲んだ。
ウクライナ料理は基本的にシンプルで、初めて食べたときは、味付けに物足りなさを感じたが、今では素材の味が楽しめていいと思う。
茹でたマカロニを何も付けずに食べることにも慣れてしまった。

ウクライナでは来客を食べきれないくらいの種類と量のご馳走でもてなす習慣があるという。
これは隣国ジョージアでも同じなのだという。
今夜もルーダが椀子そばのように次々に追加していくトマトを片っ端から食べていった。

食後には必ずチャイがつく。
アルトゥールの家ではレモンティーと何かしらの茶菓子が出てきた。

そして満腹の状態で眠りにつく。
アルトゥールは学校のない日は昼まで眠るので、基本朝ごはんはない。

とても開放的な眺め

午後はDruzhby narolivにある公園に行った。
雲一つない快晴だった。
ドニプロ川が見渡せる。
公園に入るために20フリブナ(200円程度)必要だったが、自然を保護するため仕方なかった。
ウクライナで公園と言うと、USJに匹敵する規模のものばかりである。この公園には多きな木々が立ち並んでいることは言うまでもなく、ブドウ園や植物園までもある。
所々にベンチが置かれ、子供と遊ぶ母親、芝生の上に寝転がって日焼けを楽しんでいる人がいるとてものどかなところである。

途中歩いているとリスを見かけ、しばらく観察した。

自然に囲まれたとてもいいところだった。

気付いたことは、キエフにはクモや蚊など、人の害になりそうな虫がほとんどいないということ。
蚊のような小さな虫が飛んでいるのを見かけても、刺される心配はない。
だから上半身裸の無防備な格好で芝生に寝転がっていても平気なのだと納得した。

公園は広すぎて、全部回らないうちにくたくたになった。
ベンチで休んでいるとき、アルトゥールはイラに電話していた。
彼女の体調はだいぶよくなったらしい。
僕も少し会話をした。

街の中心部でアイスをおごってもらった。
チョコレモンソフトが100gで7.5フリブナ(75円程度)。
これでもウクライナでは高いほうらしい。
普通のアイスはスーパーで2フリブナ弱(20円未満)で買えるのだから。
アイスのコーンを置く台が計りになっており、グラムごとにきっちりお金を払うシステムだった。
なのでアイス2人分で20フリブナ。 
いつもどおりアルトゥールに感謝していただいた。

休日が終わってしまった

2011年9月19日(月)

キィーヴに滞在し始めて1週間が経った。
あらゆるものが珍しく、毎日どこかをぶらついていたら、時間はあっという間に過ぎていた。

今日はアルトゥールが大学へ行く日である。
僕は8時に目覚めると、アルトゥールはもう折りたたみベッドにはいなかった。
キッチンへ行くと、朝食をとっていたところだった。
しかし、もっと寝るように促され、再び部屋に戻ることになる。
大学のない日は昼近くまで寝ているアルトゥールにとっては、早起きだったようだ。

とりあえず寝て、9時過ぎくらいにまた起きた。
サーロやオリーブなど、昨晩こってりしたものを食べすぎたせいか、今朝はあまり食べられない。

部屋に戻ってくつろいでいると、アルトゥールが返ってきた。
僕宛にポストカードが届いているという。
送り主は前にスーパーの前で会った、アリーナだった。

イラが病気だったため、授業の資料をプリントして届けないといけなかった。資料を共通の友達に渡すために、大学へ一緒に向かう。

彼の通うキエフ・モヒラ・アカデミーは英語の教育プログラムがあるためか、ここの学生は英語が理解できる。
キャンパスでアルトゥールの友人と会っても、コミュニケーションをとることができた。

この大学に外国人は少ない。
外国人学生のための特別措置がなく、現地の学生と同じ試験を受けなければならないからだ。
しかし、街中ですらアジア顔に出くわすことがほとんどないにも関わらず、中国人はいるらしい。

大学の前のベンチに座って友達を待つ。
友達の名前もイラという。
病気のイラのために、資料を別のイラに渡すということで、少しややこしい。
イラという名前は女性によくある名前なのだ。

イラはかなり遅れてやってきた。
女性は準備に時間がかかるので、当然のことらしい。
イラはアルトゥールと軽く会話をし、資料を受け取るとすぐに去って行った。
彼女はアルトゥールよりもやや背が低め。といってもヒールの高さを合わせたら180はいっていたと思う。
アルトゥールに彼女の印象を聞かれたが、軽く挨拶を交わしただけだったので、少しそっけなかった感じがした。

サーロとオリーブ

サーロというのは、ウクライナの伝統的な保存食で、豚の脂身からできている。
写真の左側のタッパに詰め込まれている白い塊がサーロである。
アルトゥールから話は聞いていたが、豚バラ肉程度の脂身を想像していたので、始めは驚いた。

食べ方は黒パンに乗せて、そのまま食べる。
脂身がバターのように感じられた。サーロ自体は油の味しかしない。
ウクライナの冬はマイナス20℃になることもあり、冬場にサーロは格別美味しくなるそうだ。
脂身を口にする抵抗がなくなると、わりといけた。
気が付くと、サーロをどんどん口に運んでいたので、食べ過ぎには注意しなければならなかった。

食後にはキエフ・ケーキというものが出た。
これもハイパーマーケットで見た。
アルトゥール一家には本当によくしてもらって、感謝しきれない。
中身はサクサクした生地で、ケーキというより、スナック菓子のような食感だった。

スーパーで買っていたものは実は

帰り道、買い物をして帰ることになった。
ハイパーマーケットという巨大なディスカウントストアだった。
食料品だけでなく、食器、衣類、家具まで何でも揃っていた。
中はいかにも倉庫をそのまま店にしたという感じで、ラックには大量の商品が無造作に並べられていた。
値段がとにかく安かったが、安過ぎるものは粗悪品だと、アルトゥールが説明してくれた。

僕はいつも通り家族についていく。
大型のカートには大量の商品が放り込まれていた。

昨日と同じく、ルーダのアパートの駐車場で下してくれた。

部屋に戻ると、アルトゥールがお土産として多くのものをくれた。
写真奥:ほとんどチョコレート
手前左から:ウクライナの風景写真集、レシピ本、額
チーズ、マグネット、ろうそく立て、ジョージからもらったキノコ(木の実を削って作った)
テーブルクロス、ポストカード、ヴォトカ
チョコレートやウクライナに関する本、ポストカードやヴォトカがあった。
僕がウクライナに来てから、よく食べていてチーズまでくれた。
それほど僕はこのチーズを絶賛していたらしい。
日本ではない味で、KIRIチーズに似た食感で、プレーンだけでなく、ベーコンとマッシュルーム味があった。
さっきの買い物で見覚えのあったものも多く含まれていて、そこまで気を使ってもらう必要はなかったのだが、嬉しくもあった。

ジョージ暴走

National Exhibitionの敷地をぐるりと一周し、入口の広場に戻ってきた。
ここにはカートや自転車などが貸し出されていた。
僕らはジョージがカートを運転しているのを眺めていた。
始めは赤のカートに乗って、入口前の広場を回っていた。
僕はそのあいだ、他にも乗り物で遊んでいる子供たちを眺めたり、写真を撮ったりしていた。
ウクライナの子供はとてもかわいい。
ジョージも初めて見たときも、ワンパクな天使のようだった。
カートをとりかえ次は、緑色の、タイヤの大きないかつめのやつに乗っていたとき、ジョージは広場を歩いていた中年の女性と衝突した。
女性は怒った様子だったが、すぐに立ち去り、どうやら大した問題にはならなかったようだ。
結局ジョージのカートは終了となった。
付近の様子