いちいち日本と比較しなくなってきた

ヴァレリアは英語のレッスンがあるといので、駅まで一緒に行った。
アルトゥールの通っている大学の学生は個人差はあるが全員が英語を喋ることができるらしいという。
しかしだからといっても大学では英語の授業は学年が上がるとなくなるので、さらに英語を学習し続けるためには、彼女のように個人的にスクールに通わなければならない。

彼女を見送ると、2人で街歩きを再開する。
ウクライナに来たときは、街を歩くと常に驚きと発見の連続だったが、数日たった今では大分慣れてきて、前よりは驚くことが少なくなってきた。
全てが"Strange 奇妙"に見えていたものが、今では"Usual 普通"になってきている。
歩道がでこぼこなのは普通、街の風景もこれが普通、あちこちで渋滞が起こっているのも普通、アジア系の人がほとんどおらず、白人ばかり、190cmを超えるような男を見かけるのも普通、食べているものも普通。

目に映るものが全て普通に見えてきた。
ウクライナに来た当初は、それらを全て「日本」という基準に照らし合わせて眺めていた。
だから僕は来た当初、「日本と比べて○○だ」とか「日本ではどうだ」という発言をよくしていた。
今でもウクライナと日本との違いを言うときには使っているが、それを言う頻度は大分減った。
ウクライナ人の友達の家で暮らし、ウクライナ人と同じものを食べ、ウクライナ人とお喋りをし、ウクライナ人のようにメトロに乗り、ウクライナ人のように昼近くまで眠るといった生活を送ることで、自分もウクライナ人のようになってきているからなのかもしれない。
今ではウクライナに染まってきて、自分は"Stranger"だとか"Foreigner"だという感じがあまりない。

「普通だ」というのは悪い意味ではない。
あらゆるものが"Usual 普通"になってくると、
だんだん"Comfortable(心地よい)になってきた。
街の風景

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