特集:アルトゥールから見た日本文化

ウクライナにいる間、僕はほとんど英語を使っていた。
僕は日本語と英語しか分からないし、アルトゥールはウクライナ語、ロシア語、英語しか分からない。
おかげで英語でコミュニケーションをする力は大分ついたと思う。

アルトゥールはもともと日本に興味があるので、自分で日本のドラマや映画、アニメを見るのが好きだ。
彼は日本人のものの考え方がとても繊細でおもしろいのだという。

例えば「硫黄島からの手紙」という映画を彼は観たことがあるのだが、日本兵は戦場で戦っているときも家族のことを想い、育ててくれたことを両親に感謝し、軍の上官のいる前では本心を隠してアメリカ軍を撃退する意欲を見せたりと、複雑な感情を持っている。

一方で太平洋戦争をアメリカ側の視点から描いた映画を観ると、アメリカ兵にはそのような感情は一切なく、ハンバーガーでも買いに行くようなノリで空爆に行っていたのだそうだ。
僕はそのような軽い感覚で人間を殺せるアメリカ人が、イラクなどに軍隊を送って正義を唱えていることに内心苛立ちを感じた。

アニメでいえば、アルトゥールの好きなアニメの中「鋼の錬金術師」がある。
これはウクライナ語に吹き替えられたアニメが放送されるほど、ウクライナでも人気のあるアニメである。
僕は「鋼の錬金術師」の読み方を教えようとしたが、「レンキンジュツシ」がとても言いにくそうだった。
「ジュ」「ツ」「シ」と1音ずつ強く息を吐かないといけないところが、発音しにくいポイントなのである。

特集:ウクライナ人が英語を使うときになりがちな癖

アルトゥールの実家にいたとき、ジョージの通う学校の教科書を見せてもらった。

ジョージは5歳だから日本でいう小学低学年だが、日本の僕が中学で英語を習い始めたくらいのレベルだった。
簡単な英文が書かれていて、ウクライナの教育レベルは高いとアルトゥールに言うと、彼はウクライナ人はアルファベットに慣れているから、日本人よりも英語を習いやすいのだと説明してくれた。
それにも関わらず英語が使えるウクライナ人が少ないのは問題だとも言っていた。

ウクライナ語は英語よりも発音も文法も複雑だと言われている。
だからウクライナ人にとっては英語は比較的マスターしやすい言語だといえるが、ウクライナ人ならではの悩みもあるようだ。

英語にはあってウクライナ語にはない音として"th"音がある。
これは日本語にもない音で、"the"をついつい"ザ"と発音してしまうやつである。
面白いのはウクライナ人は"r"音を巻き舌で発音するため、英語でも巻き舌になってしまうのだという。
だから英語を習い始めたウクライナの子供たちは"father"を"ファルザー"と発音してしまう。

ジョージが喋っているときも、ときどき「ルルルルル」と舌を鳴らす音が耳についた。
アルトゥールは小さいときに巻き舌ができなくて、巻き舌の練習を学校でしていたのだと。
正しいウクライナ語を喋るためには、巻き舌音は大事なのだろう。
僕はアルトゥールの部屋で巻き舌の練習を何度かしてみたが、うまくいかなかった。
舌を上歯の裏あたりに付け、「ルー」と発音しながら強く息を吐くとできるみたいなのだが。

ウクライナ語の文法が難しすぎるために、ウクライナ語をそのまま英語に訳すと、かなり複雑な文章になってしまうのだとか。
コンマが大量に打たれていて、見たらすぐにウクライナ人が書いた文章だと分かるらしい。

ところ違えど、外国語を習うときには何かしら困難があるようだ。
アルトゥールが「日本語はスペースがないのにどうやって単語を区別しているのか?」と聞いてきたことがあった。
僕は無意識に日本語を使いこなしていたが、外国人から見ると不思議なこともたくさんあるようだ。

特集:ウクライナの料理を食べてて感じたこと

ウクライナにいる間、時々の外食を除けば食事は大抵ルーダの手料理を食べていた。
今回はその様子を詳しく書いてみる。
ある日の晩ご飯
黒パン
豚を焼いたもの
マッシュポテト

ウクライナではお客さんを食べ切れない量の食べ物を用意してもてなす慣習がある。
なので好きなだけ食べて、要らない分は残しておけばいいのである。

出てくる料理は非常にシンプルである。
日本の料理では、誰もが無意識のうちに食材を組み合わせた料理を作っているが、ウクライナでは1つの料理には、多くの場合食材は1つくらいしか入っていない。
例えば、マカロニだと茹でてお皿に盛る。
味付けは塩こしょうを好みで振って食べる。
トマトソースをかけたりグラタンにしたりという発想は無いのである。ジャガイモだとマッシュポテトかジャガバター。
豚肉なら塩こしょうで焼いただけという感じである。

それに比べると、日本はいかに様々な種類の食べ物にあふれていることだろうか。
日本人は和食だけでなく洋食や中華といった外国の料理も日常的に食べるし、オムライスやラーメンのように日本人の好みに合うように独自の進化を遂げているものも多い。
調味料も多彩で味のバラエティも豊富である。

ウクライナに来て日本の料理は醤油や味噌を使った料理が多くて、汁物もたくさんあると感じた。
こちらで汁物といえば、ボルシチといったスープくらいで、そのスープも食事の始めのほうで先に食べてしまうので、料理の口直しに汁をすするという感じではないのである。

ウクライナの食事に慣れるまでは、ウクライナの食事にほとんどジューシーさが無いのが気になった。
味付けのされていないマカロニやポテトを黒パンと合わせて食べる様子を想像してみてほしい。
テーブルの上には日本では当たり前のボトルのお茶などはなく、食事中はほとんど飲み物も飲まない。

葉もの野菜がほとんどなく、ビタミン源となりそうなものはパプリカとトマトくらいである。
こちらも切るだけで生で食べる。
ウクライナは土壌に恵まれているせいなのか、野菜がとてもおいしい。たいして調理されていないが素材本来の味が楽しめて逆にいい。とくにパプリカは甘くておいしいのでたくさん食べた。

ウクライナ料理には朝ご飯、昼ご飯、晩ご飯といった分け方はほとんどない。
毎食同じようなものを食べるのである。
なので昼前に起きて1食目で豚を焼いたのがでて来ることも普通なのだ。そしてルーダは朝でも料理を山盛り用意する。
パプリカ、トマトは食事中もルーダがどんどん追加するので、僕も盛られるままに食べ続けていると、なんだかわんこそばの様になっていた。

友達に偶然会ったときの会話は大抵長い

散歩の途中でダニエルと別れ、僕はアルトゥールに連れられるまま町をぶらぶら歩き、前に来たバスターミナルのところまで帰ってきた。
帰りはバスではなく鉄道を使う。
工事が済んだからである。
次の電車が発車するまでは30分くらいあるので、駅周辺で暇つぶしをする。

駅前でまたアルトゥールの友達に出会う。
「また」というのはアルトゥールがしょっちゅう道を歩いていると友達を見つけるからである。
彼の両親宅に行くまでに1人、家の中でダニエルと女の人、そして今また1人である。
今回の友達は髪が短くて、がっちりした体つきの男で、アルトゥールよりも少し背が高い。
前も言ったようにアルトゥールの身長は189cmであり、それより高いのでその友人は190cmを軽く超えていた。
僕はすでにウクライナの環境にほぼ完全に順応してしまっているので、190オーバーの男を見るのも慣れていた。
僕は彼と握手をし、あとは巨大な2人がウクライナ語でやりとりしているのをぼんやり眺めるか、周りを見渡すくらいである。
このとき気づいたことなのだが、ウクライナ人は雑談が長い。
通りで偶然会った知り合いで、時間に余裕のあるときは男同士であってもアルトゥールは10~15分くらいは立ち話をする。
それに比べると日本はせかせかしているように思われるので、このようにたわいもないお喋り十分な時間を費やすのを見るのが僕は好きである。

雑談を済まし、友人と別れたあともまだ時間に余裕があるようで、ターミナルの側にあるキヨスクに連れて行ってもらった。
キヨスクは日本のコンビニのような役割をしているところである。
どうやらそのキヨスクの店員がアルトゥールの親戚だってようで、彼女を僕に紹介したかったらしかった。
アルトゥールのおかげで僕はあっという間にウクライナ人の知り合いがたくさんできてしまった。
街中で友達を見つけたら必ず声をかける、自分の友達を他の友達に紹介するというのはウクライナの国民性なのであろうか。
チケット売り場
電車

ソビエトの名残

公園の中に広場のようなところがあり、そこにはステージや、小さな子どもが楽しめそうな遊園地のアトラクションのようなものがたくさんあった。
今週の土曜日にお祭りが行われるためで、人々はその準備を行っているのである。
僕たちも土曜日に再びイルピンに行くのか聞いてみたら、祭りには酔っぱらいがたくさんいて、しかも日本人の君は目立ってとても危険だとアルトゥールに言われた。

公園の敷地内を歩いていると、戦車が飾られているところがある。
旧ソ連式のもので、アルトゥールは僕に「写真を撮ってあげようか?」と聞いてきた。
僕は単純におもしろそうだったので、戦車の上に乗って写真を撮ってもらった。
この写真をアルトゥールに見せたら、笑っていた。

ウクライナには親ロシア派の人と反ロシアの人がいて、地理的な理由から東はロシア寄り、中部から西はヨーロッパ寄りとなっている。
アルトゥールは反ロシアの人間なので、ソ連式の戦車を踏みつけて立っている僕の様子は痛快だったらしい。

公園の隅にはレーニンの像が建っている。
旧ソ連時代、ソ連政府はウクライナの土地をいくつかの地区に分けた。
その地区ごとには1つ中心となる街が決められ、そこにレーニンの像が置かれるようになったのだという。
イルピンもその1つで、市役所の前にレーニンが置かれていた。
しかし、ソ連崩壊後イルピンは今後ロシアの言いなりにはならないというメッセージを込めてレーニンの像を公園の片隅に移動させたそうだ。

僕はウクライナやロシアの歴史についての知識が乏しいので、無条件にロシアを非難することはできないが、これまで話を聞いてきた限りでは、ソ連は多かれ少なかれウクライナ人の反感を買うようなことをしてきたのは確からしい。

イルピンのヤポーニツ(日本人)

家を出て、僕とアルトゥール、ダニエルの3人で街を歩く。
ダニエルはアルトゥールの幼なじみで、金髪を短く切った髪型で、ほおはふっくらとし、少し赤みがかっている。
ダニエルは英語を喋られないし、彼は少しシャイな感じだったので彼とはほとんど会話ができなかった。
アルトゥールはダニエルとウクライナ語で会話をしているので僕は周囲の風景を眺めていた。
新しい町の風景を観察するのは面白かった。

アルトゥールが僕が全く話に入れないので気を遣った。
僕は大丈夫だったので、写真を撮って時間を潰した。
ウクライナに来てからこの時点までで、僕は少なくとも500枚以上の写真を撮っていたと思う。
どれもが僕にとっては新鮮に見えたからだ。
しかしアルトゥールの両親宅で先ほど食事をしていたときの話なのだが、僕の撮ったルーダの家の写真を部屋のみんなに見せてみたら、大爆笑された。
「なんて当たり前過ぎるものをとっているのだ」という感じなのだと思った。
裏を返せば、現地の人間にとっては当たり前過ぎて気付かないことがあるのだ。
僕はウクライナ人よりもウクライナのごく日常の風景がいかに素晴らしいのかを理解できると思った。

街を歩いているときアルトゥールに何度か「すれ違う人が君を見ている」と言われた。
キエフあっても日本人はごくまれな存在であるが、田舎の人にとっては更にレアな人間となってしまう。
このとき、僕はイゥピンで唯一のアジア人だったかもしれない。

弟のジョージ

一周村を探索たあとは、アルトゥールの実家へ行った。
僕は何も聞いていなかったので、また新しい友達でも紹介してくれるのだろうという感覚でしかいなかった。
玄関で迎えてくれた人がアルトゥールの母だと言われたときはびっくりした。
彼女は「オリャ」と呼ばれており、僕はオリャとハグで挨拶した。
ウクライナでの挨拶は握手、ハグが一般的である。
女の子同士や、親しい女の子からは、ほおにキスというのもアリらしい。

アルトゥールの弟のジョージも紹介してもらった。
ジョージは5歳で20歳のアルトゥールと比べてかなり年の差がある。
ジョージが今より小さいときは、アルトゥールがベビィシッターをしていたこともあるそうだ。
ジョージはアルトゥールを見かけると、彼のもとにかけより、彼の長い足に抱きつく。
アルトゥールはジョージをくすぐって、ジョージを喜ばせていた。
僕はジョージの写真を見たことがあったが、実際に会ってみると見た目以上に愛嬌があってとてもかわいかった。
ジョージの部屋の中は、大量のおもちゃが散らかっており、至る所にブロックで作り上げられたタワーが立っている。
もともとアルトゥールの部屋だったが、彼がルーダの家で下宿を始めるときに、部屋をジョージに譲ったのだった。
おもちゃの多くはアルトゥールのお下がりである。

ジョージはとにかく人懐っこい。
初対面の僕に対しても何のためらいも感じていない。
英語は学校で少し習っているが、ほとんど通じないので、おもちゃを使ってジョージの遊びに付き合う。
学校のテキストを見せてもらったが、日本の小1の段階ですでに日本の中1の始めに習うような短い会話文をやっていて、英語に関してはウクライナのほうが進んでいると感じた。
アルトゥールいわく、ウクライナの子どもはアルファベットに慣れていて、日本の子どもと違って1からアルファベットを覚える必要がないからだという。
それにもかかわらず、ウクライナで英語を話すことができない人が多いのは残念だと不満を言っていた。

ジョージは現在天体に興味を持っており、お気に入りの惑星の図鑑を見せてくれた。
くすぐりとても弱く、くすぐられるととても喜ぶ。
猫の真似が好きで「ミャー」と高い声で鳴く。

しばらくジョージと遊んでいたら、夕食の準備ができたとのことでキッチンに招かれた。
テーブルには黒パン、ソーセージ、焼いた豚肉が並んでいた。
席に座って準備が整うまで待っていると、アルトゥールの知り合いのダニエルと3,40歳くらいの女の人がやってきた。
おそらくオリャが招いたのだろう。

食事をしながら、僕は周囲の人たちの喋っている様子を観察していた。
まともに英語を話せるのはアルトゥールしかいないので、会話はウクライナ語で交わされていて、僕は何を話しているのかは分からない。
しかし確実に僕のことを話していることは分かった。
「日本」を意味するウクライナ語「ヤポーニヤ」が聞こえてきたり、女の人が物珍しそうに僕を見ていた。
女の人は自分の分かる限りの英語を絞り出して"How old are you?"と聞いてきた。
僕は21で実はアルトゥールよりも1つ年上なのだ。
東欧系の顔は大人びて見えるので、日本人の感覚で行くと、3,4歳は実年齢よりも年上に見える。
なので見た目からするとアルトゥールは25くらいにみえてもおかしくない。
そんな感じなので僕の年齢がいくつなのかはとても興味があったようだ。

僕はあまり喋らない代わりに、隣にいたジョージをくすぐったり、カメラで撮ったりして遊んでいた。
ジョージは僕が何か反応するたびにキャッキャと喜ぶので、とてもおもしろかった。
食後はあまーいトルコのお菓子と、にがーいターキッシュ・コーヒーをいただいた。
甘さを苦い飲み物で相殺するのがトルコのスタイルなのだそうだ。

家を出るときにジョージからお土産をもらった。

チェストナッツを削ってキノコの形にしたものである。このチェストナッツはキィーヴのシンボルでもあるのだそうだ。