自然と共存する人々

少し村の中心から外れたためか、マンションのような建物は見かけられなくなった。
広い道路が延々と続いており、自転車があればどれだけ便利かと思った。
土地がとても広いため家も大きいし、家と家の間隔もとても広い。

「イルピン人は木に囲まれて暮らす」という言葉は間違っていなかった。
電柱のように真っすぐに伸びた木々があらゆる場所に規則正しく並んでいる。
木々の隙間に雑草はほとんど見られず、間から遠くの風景が見通せてしまう。
公園の様子
チェルノブイリ原発事故のときに
働いて亡くなった消防士の像
住宅地の通り
民家

イルピンの風景

「イルピン人は木に囲まれて暮らす」と言われる。
それほどたくさん木があるのだそうだ。
本当かどうかは、自分の目で確かめるとする。

バスがターミナルに到着する。

キエフとは少し雰囲気が違う。
大きな建物が少なく、閑散としている。
バスターミナルの真ん中でバス待ちの列があった。
いつも大体あの辺りにバスが来るのだろう。

僕はアルトゥールと一緒に周辺を歩き出した。
第二次世界大戦で亡くなった村人の慰霊碑
City hall(市役所)
遊具で遊ぶ子どもたち
キエフとは違った雰囲気の道
アルトゥールの通っていた学校
市場の様子①
市場の様子②

アルトゥールの実家へ

2011/9/15日(木)

今日はアルトゥールの故郷であるイルピンに連れて行ってもらった。
イルピンには彼の両親と弟のジョージが住んでいる。
アルトゥールは大学の近くにある、祖母のルーダの家に下宿しているのである。

いつも通り遅くまで寝て、昼過ぎに出発する。
メトロに乗り、途中でイゥピン行きの列車に乗り換える予定だったが、列車が工事中とのことで、再びメトロに乗ってレッドラインの西の終点で電車を降りた。
キョート・パークに行くときに東の端まで行ったので、レッドラインはコンプリートしたことになる。



メトロを降りて地上に出ると、
いつも感じていたことだが、少し空気が埃っぽい。
こちらに来てから鼻と喉の調子が良くない。
季節の変わり目で、風邪を引きやすい時期なのだそうだ。

マルシュルートカと呼ばれるバスに乗った。

マシュートゥカの中は清潔だった。
都市部を出ると、道路の両側は背の高い松林に囲まれている。
そのような風景が延々と続く。
アルトゥールに、ウクライナの生活に慣れてきて、いままで奇妙に見えていたものが、今では普通になってきたということを話した。
"Boring 退屈か"と聞いたが、そんなことはない。
今でも十分楽しいし、慣れてくることで感じる良さがある。

キエフ郊外に出るのはこれが初めてである。
イルピンに着くのが待ち遠しかった。


特集:日常でよく使うウクライナ語

僕はウクライナに来る前に、キリル文字とアルトゥールに教えてもらったウクライナ語講座のサイト(YakuSuウクライナ語講座)で簡単なフレーズを覚えてきた。
ここではウクライナ語の簡単なフレーズと、ウクライナ生活を通して役に立った言葉を紹介する。

〈よく使うフレーズ〉

ドーブリデーニ :
「こんにちは」の意。
「ド」と「デ」を少し強く発音する。
初めて会った人にはこれが無難かもしれない。
「おはよう」は「ドーブリアラーノク」、「こんばんは」は「ドーブリヴェイチル」と言う。
「トーブリ」は"Good"という意味で、発音もこのまま発音して全然伝わる。


スマッシュノ :
「おいしい」の意。
「マ」を強めに発音する。
いつも料理を作ってくれるルーダへの感謝の気持ちを伝えるためにこのフレーズを覚えた。
「スマッシュノ」は一般的な言い方でどんな料理に対しても使えるが、ウクライナ語にはドイツ語のように男性、女性、中性名詞が存在するので、名詞によって言い方が変化する。
例えば、ビールは男性名詞なので「スマッシュナ」、ピザは女性名詞なので「スマッシュニ」になるのだそうだ。
男性、女性、中性の区別の仕方をアルトゥールに聞いてみたことがあったが、ネイティヴの感覚がないと難しいようだ。
ちなみに、新しい言葉は言語学者によって判別され、日本食は女性に分類されるのだという。

ナドブラーニチ :
「おやすみ」の意。
これを寝るときにアルトゥールに言ったらなぜか爆笑された。
やはり外国人が日本語を話しているのを聞くと、どこかおかしく感じるのと同様に、自分では気づかなかったが、おかしな発音をしていたのかもしれない。


〈よく耳にしたフレーズ〉

オペレージュノ :
「気を付けて」の意。
メトロ車内のアナウンスで耳にする。
「プザタ・ハタ」に行ったとき、ウエイターが客にぶつかりそうになったとき「オペレージュノ」と言っていた。
日本の感覚でいう「失礼します」の意味に近いのだろうか?

ドーブロホドニャー :
「こんにちは」の丁寧語。
アルトゥールが街中で人に話しかけるときに使っていた。
初対面の相手に対して敬意を払う。

ウクライナの中の日本

夕日が綺麗なオレンジ色に輝いているころ、アルトゥールは「キョート・パーク」に行こうと言い出した。
キョート・パークとは、キエフと京都との友好の証として作られた公園である。
日本人にはあまり知られていないが、ウクライナは日本に好意的である。
ウクライナでは現在空港が建設されているのだが、その資金提供を日本がしていたり、最近では東北大震災で亡くなった人を追悼するために、明かりのついた風船を飛ばすというセレモニーがウクライナで行われたということを聞いた。

キョート・パークはメトロの東の端、「リソヴァ」という駅にあった。
名がやっと駅名が読めるようになってきた。
「リソヴァ」に向かうまでの間に、メトロは地上を走り、ドニプロ川に架かる橋を渡って行った。

キョート・パークは駅から歩いてすぐのところにあった。
長い小道の両側に、とても背の高い松が立ち並ぶ。
松はウクライナでもよく見られ、とても背が高い。

しばらく歩くと、日本庭園のようなものがあり、付近には桜の苗木が植えられていた。
桜はウクライナにあるらしいのだが、日本のものより色が白いのだという。

松に囲まれ、石で囲まれた日本庭園風の池もある。

まるでウクライナの中の日本のようだと思った。

日本チックな池の周りにウクライナ人というのは、意外に絵になっていた。

僕らは公園の奥まで歩き、遊具の近くにあるベンチで休んだ。
平日にも関わらず、家族で過ごす人たちをたくさん見かけた。
幼稚園か小学校低学年くらいの男の子の兄弟が遊んでいるのを両親がベンチに座って眺めている。
見ていて温かい気分になる。
時刻は午後7時を回っていたが、ウクライナでは日が沈んでから暗くなるのが遅いらしく、ほんのり暗い程度である。
アルトゥールに聞いてみると、ウクライナでは仕事は9時から始まって夜6時に終わるのが普通なので、このように平日であっても家族団らんのときを過ごせるのである。

ウクライナ人は恋人や家族と過ごす時間を大切にしていてとてもいいと思った。
ベンチでカップルたちが静かに2人の時間を過ごしているのをよく見かけたりする。
ウクライナ人はゆっくりしているとアルトゥールに話すと、そんなことはないと言われた。
忙しいときもあるのかもしれないが、日本と比べると(また使ってしまった)ゆっくりしていると思う。
夜8時ぐらいの公園内の風景
明かりがつき始めた
日を追うごとにウクライナが好きになっていく。
家に帰り、晩ご飯は茹でたマカロニ、白パン、トマト、ハンバーグのようなものを美味しくいただいた。

美しいキエフの町並み

今日行ったところは今まで行ったことがなかった。
アルトゥールでさえ初めてだという場所もあった。
キィーヴの街の大きさを改めて感じた。
とても古い教会
築1000年くらい
お土産を売っている人がたくさんいる
ウクライナの伝統工芸品
とてもゴージャスな教会
メルヘンな遊具
友達に自分のプロフィール写真を
撮ってもらっているところ
公園の近くにあった建物
キィーヴの街
ここからの眺めも最高
使ってもいいのだろうか?
カラフルな建物
この辺りは高級住宅街らしい
高級住宅街その2

いちいち日本と比較しなくなってきた

ヴァレリアは英語のレッスンがあるといので、駅まで一緒に行った。
アルトゥールの通っている大学の学生は個人差はあるが全員が英語を喋ることができるらしいという。
しかしだからといっても大学では英語の授業は学年が上がるとなくなるので、さらに英語を学習し続けるためには、彼女のように個人的にスクールに通わなければならない。

彼女を見送ると、2人で街歩きを再開する。
ウクライナに来たときは、街を歩くと常に驚きと発見の連続だったが、数日たった今では大分慣れてきて、前よりは驚くことが少なくなってきた。
全てが"Strange 奇妙"に見えていたものが、今では"Usual 普通"になってきている。
歩道がでこぼこなのは普通、街の風景もこれが普通、あちこちで渋滞が起こっているのも普通、アジア系の人がほとんどおらず、白人ばかり、190cmを超えるような男を見かけるのも普通、食べているものも普通。

目に映るものが全て普通に見えてきた。
ウクライナに来た当初は、それらを全て「日本」という基準に照らし合わせて眺めていた。
だから僕は来た当初、「日本と比べて○○だ」とか「日本ではどうだ」という発言をよくしていた。
今でもウクライナと日本との違いを言うときには使っているが、それを言う頻度は大分減った。
ウクライナ人の友達の家で暮らし、ウクライナ人と同じものを食べ、ウクライナ人とお喋りをし、ウクライナ人のようにメトロに乗り、ウクライナ人のように昼近くまで眠るといった生活を送ることで、自分もウクライナ人のようになってきているからなのかもしれない。
今ではウクライナに染まってきて、自分は"Stranger"だとか"Foreigner"だという感じがあまりない。

「普通だ」というのは悪い意味ではない。
あらゆるものが"Usual 普通"になってくると、
だんだん"Comfortable(心地よい)になってきた。
街の風景

アルトゥールの友達とも一緒に

アルトゥールの待っていた友達というのはヴァレリアという大学の同級生だった。
ウクライナでは男女で食事に行ったり、遊びに行くことはごく普通のことなのである。
もし日本で同じように男の子が女の子を遊びに誘ったりしたら、彼は彼女に気があるのではないかと思われるのではないだろうか?
そのことをアルトゥールに話すと彼は"complicated(複雑だ)"と言った。
ヴァレリアとは前にアルトゥールと一緒に大学に行ったときに会っていたようなのだが、覚えていなかった。
一度に多くの友達を紹介してもらい、顔と名前が一致していなかった。
しばらくすると彼女がやって来た。顔を見ると確かに見覚えがあった。

メトロに乗って移動し、トローリーバスに乗る。
天井から長いアンテナのようなものが付いていて、道路の上にある電線の様なものを伝って走るバスである。
アルトゥールやヴァレリアは普段の生活ではあまり使わないらしい。
お年寄りは無料で乗れるので、よく利用するそうだ。
料金は1人1.5フリブナ(15円)。
買い方はアルトゥールに任せていて詳しくは分からなかったが、バスの真ん中に立っている、ふてくされた顔をしたおじさんに料金と引き換えにチケットをもらう。
おじさんは僕の目から見ると、他の乗客と大して変わらぬ身なりをしていた。
もし僕1人でトローリーバスに乗ったのなら、お金の払い方に困っただろう。
チケットを貰ったら、車内のポールに付けられた穴開けパンチでチケットに穴を開ける。
降りるときにそのチケットを提示する必要はないので、乗客がちゃんとお金を払っているかというチェックが甘いように思われた。
満員の車内でふてくされたおじさんのとこまで行くことができない、という人は隣の人にお金を回してもらってチケットを手に入れれる。

僕とアルトゥールとヴァレリアの3人で、教会に行った。

ウクライナではウクライナ正教が主流なため、屋根が丸くてその上に十字が立てられた建物がたくさんみられる。
カトリック、プロテスタントとは違った趣がある。

キリスト教が伝わる前はペガニズム(自然崇拝)が主流だった。キリスト教により駆逐されてしまったが、現在でも、その名残として、トーテムポールのようなものを市内で見かけた。

正教といえば「ギリシャ正教」が日本でも有名だが、ウクライナ正教とは別物らしい。
ギリシャ正教が正教のなかで大きな地位を占めているの確かだが、一部の正教教会ではウクライナ正教会のように自治を行ってきたものもあるようだ。

教会の入り口で、ヴァレリアは頭巾をかぶる。
建物の中の構造は前に見た教会とほぼ同じで、壁や天井にキリストやマリアにまつわる絵画が描かれていた。
外の世界とは隔離された静かな空間である。
絵画を眺めていたが、聖書の知識が全くない人間なため、描かれている人物が誰で何を表しているのか全く分からなかった。
それよりも、よくこのような派手な教会が街の至る所にあり、誰が維持費を負担しているのか気になった。
教会を出てから2人に聞くと、教会はいまでは一種のビジネスになっているらしい。

ここの教会の向かい側にも別の教会が建っていて、横断歩道を渡って歩けばすぐのところにある。
ここは入場料をとるらしいので中には入らなかったが、教会の前にある広場の真ん中に、馬に乗った男の像が建っていた。
ウクライナの部族の長らしい人で、彼は右手にコンボウのようなものを持っている(写真では隠れてしまっている)。
コンボウは指揮をするための軍配うちわみたいなものらしい。
コンボウの指し示す先にはモスクワがあり、ウクライナの学者はそれはロシア(旧ソ)からの独立の象徴であると解釈する一方で、ロシアの学者はモスクワを示すことはロシアとウクライナの協調の証であると解釈しているのだそうだ。

思ったより居心地がよかったため

僕はアルトゥールに1人で外出し、近場をうろついてもいいかと聞いてみた。
僕は午前中にずっと部屋にいて、少し退屈さを感じていた。
昼からは外に出たいなといっても、昨日少し体調が悪いと言っていたアルトゥールに無理をさせたくはなかったからだった。
アルトゥールはあまりいい顔をしなかった。
僕が1人で外出するのは危険だと思っていた。
今日もどこかに連れて行ってくれるみたいだった。
体調は大丈夫か聞いてみたら、良くなってきていると言われた。

当初考えていた「自力でウクライナの主要都市を回っていく」というプランは無理そうに感じた。
ウクライナはあまり観光客のために街が整備されている感じがない。
首都のキエフでさえ英語で書かれた案内板は少ないし、英語ができる人も少なそうだ。
スムーズにウクライナ旅行がしたければ、ウクライナ語かロシア語が必要なのではないかと思った。
それにキエフ市内だけであっても、見ていない場所がたくさん残っていて、アルトゥールが紹介したいらしいので、このままキエフにずっといるのも悪くないと思った。

ウクライナに来て4日目。
自分の進歩がいろいろなところに見られた日で、それに気づくたびに嬉しくなった。
家から最寄駅までの道を覚えられたり、メトロの駅を覚えていたり、キリル文字が少し読めたりした。
そのたび、子供のような喜びを感じた。

僕たちはメトロを降りた。
プラットホームで、アルトゥールの友達を待つ。

にんにくは生で食べるものなのか?

2011年9月14日(水)

今日も少し遅めに起きて朝食を食べる。
食事にも慣れてきた。
いつも同じようなものを食べているのに、いつもよりも美味しく感じた。

朝食後はパソコンチェックし、昼食まではアルトゥールと話をする。
アルトゥールは日本好きで、日本のドラマや音楽、映画、アニメなどに興味を持っている。
彼はAIKOが好きらしく、彼のお気に入りの動画をYoutubeで見せてもらったが、AIKOが他のアーティストの曲をカヴァーしたものだった。
オリジナルの曲を見せてあげたくて、探してみたが見つからなかった。
家でゆっくりするよりも、外に出掛けたかった。

キッチンの改修工事が終了し、キッチンで食事もできるようになった。
昼食にはルーダの手作りボルシチが出た。
ウクライナ語では「ボーッシュチ」と聞こえた。
赤色のスープにはクリームが入っていて、混ぜると淡いピンク色に変わる。
刻んだテーブルビートがたくさん入ったボルシチはとても美味しかった。
チーズのふたに乗っているのは、皮をむいただけのニンニクである。
しばらく様子を見ていると、アルトゥールは無造作にニンニクを口に運んだ。
平然とした顔をしている。
郷に従い、僕も真似してニンニクをひとカケ口に入れる。
ウクライナのニンニクはそこまで辛くないのかもしれないという僕の考えは鮮やかに裏切られた。
何回か噛むと、ニンニクの辛みが舌の奥から湧いてきた。
苦辛さをボルシチで薄めようとした。
涙が少し出た。
僕のもだえる様子を見たアルトゥールは"unpredictable(予想外)"だと言った。

アルトゥールがニンニクを食べてもどうにもならないのが不思議で、ニンニクをセカンドトライしてみたが、舌の上の惨事を繰り返したに過ぎなかった。

特集:迷わずメトロに乗る方法3

これはキエフ市内を通るメトロの路線図である。
赤、青、緑の3本のラインに分かれている。
色が重なっている部分は乗り換えできる駅である。
駅名はウクライナ語と英語で表記されているが、発音が難しい。

メトロの方面を確かめるためには、ホームの壁を見る。
端に書かれている現在駅を起点に、駅名が書かれている方向へ進む。
上の写真の場合、左側に進んでいく。
右下の赤や緑の表示は乗り換えを表している。

メトロに乗っていて感じたことは、人の顔をよく見るということだ。
エスカレータに乗っていると、逆方向のエスカレータに乗っている人とよく目が合った。

特集:迷わずメトロに乗る方法2

メトロを利用して気付いたことを書き連ねていく。

〈出入り口を通るときは〉
メトロの入口にはガラス製の扉がある。
列車が通った風圧により、扉が絶えずパタパタ動いている。
扉を通るときは、後ろに人がいないか気を付け、いた場合は扉を持ってあげるのがマナーである。
気遣いという意味もあるが、扉の跳ね返りが強いので、持ってあげないと危ない。

〈エスカレータが〉
エスカレーターが非常に速い。
日本の感覚でいうと、エスカレーターを歩いて登るくらいのスピードはある。
余りにも早いので、足の悪いお年寄りはついて行けないのでは。
メトロのエスカレーターでは歩く人はほとんど見かけない。
メトロはすぐに来るので、急ぐ必要もない。

手すりと足場のスピードが一致していない。
手すりの方が先に行ってしまい、ときどき手の位置を戻さなければならない。

メトロの駅は地下の深い場所に作られている。
旧ソ連時代の地下道をもとに作られ、空爆があっても耐えられる構造にしたからだ。
噂によると、キエフ市内には未発見の地下道がいくつもあるらしい。

メトロで1番深い駅は「アルセナールニャ」である。

地下150mまで、高速エスカレータで降りる。

〈日本の感覚では通用しない〉
メトロの仕組みはシンプルである。
線路はプラットフォームの両側に1車線ずつしかない。
全て各駅停車である。
トンネルの上に時計と前のメトロが出発してからの時間がカウントされている。
メトロは通常3~5分刻みで、ラッシュ時は1分刻みで来る。
あくまで目安であるが。
駅員などはおらず、アナウンスもない。
トンネルを通ってやって来るメトロの「音」と「風圧」でメトロが来たことを感じる。
停車位置もだいたいで、メトロに人が合わせる。

車内でのアナウンスはすべて録音で、男の低い声が流れる。
出発のベルはなく、勢いよく扉が閉まり、急発進する。
基本的にメトロは人に合わせない。

日本のように駆け込み乗車をする人はいないし、メトロが満車なら次の電車を待っている人も多い。

〈アルトゥールのレディファースト〉
アルトゥールは車内に人が多いときは、席が空いたとしても決して座らない。
女性やお年寄りが先に座るべきだと考えているからだ。
女性はヒールを履くことが多いのも理由だそうだ。

ウクライナでは、レディファーストが徹底されていると思う。
男性が扉を持って、女性を先に通すという光景も、よく見られる。

特集:迷わずメトロに乗る方法1

メトロはキエフで重要な交通手段である。
今回はメトロに乗ったときの様子を写真で紹介する。
まずメトロの入り口を探す
緑色の「M」のマークが目印
地下通路を通って下のような入り口を探す
このような売店がたくさんある
入り口(ヴヒドゥвхід)
出口(ヴィヒドゥвихід)と間違えやすいので注意
チケットを買う
改札口を通って
エスカレーターで地下へ
プラットフォーム
進行方向を確認
メトロが来た
車内の様子
ラッシュ時ではないため空いている
出口(ヴィヒドゥвихід)と書かれた方向へ進む
エスカレーターに乗って地上へ
出口で切符を機械に通す必要はない