アルトゥールの大学へ連れて行ってもらうと

昼食をとり、少ししてから外出することになった。
まずはメトロの定期を受け取りに大学に行く。
学生割引が効いた定期があるということを聞いて手配してもらったのである。

家を出ると僕はアルトゥールにただ付いて行く。
アパートが立ち並ぶところを抜け、メトロに乗る。
メトロは地下鉄のようなものなのだが、日本と全く感じが違う。
プラットフォームに来ると、ただ両側に車線が1本ずつ伸びているだけで、日本のように「○○行き」というような案内看板も無いし、構内アナウンスも無い。
時刻表というものがそもそもなく、駅には前の電車が出発してからどのくらい時間が経ったかが分かるのみである。
メトロは通勤・帰宅ラッシュ時には1分おき、それ以外は3~5分おきという基準でやって来る。
あくまで目安なので、時間ぴったりで来ることはまずない。

ホームで待っているとすぐに電車はやって来た。
来るときのアナウンスは無く、トンネルを吹き抜けて来る風と、メトロの低いうなり声が電車が来る合図だとアルトゥールに教えてもらった。
電車に乗り込む、ウクライナ語でアナウンスが聞こえて来るが、何を言っているのかさっぱり分からない。
メトロは扉が閉まると急発進するので、日本の電車の感覚でいると吹き飛ばされそうになり、アルトゥールに腕をつかまれ助けてもらった。
メトロはすごい大きな音を出しながら高速で走り、次の駅が近づくと急に速度を下げる。
速度が切り替わるときの揺れがすごいので、手すりにつかまっていないとこけそうになる。
どこの駅で電車に乗り、どこで降りたのかも分からないが、アルトゥールについて行くということだけに専念する。

アルトゥールの大学に着いた。

彼は今日2度目である。
建物の中に入り、ソファーが置いてあるところで座って待つ。
校舎の中はとてもシンプルで、学生らしい人はほとんど見かけずがらんとしている。
アルトゥールはある時間が来るのを待っているらしく、僕も彼と同じようにじっと待っていた。
大学の中
時間が来ると、扉の中から学生がわらわらと出て来た。
どうやら授業が終わったらしい。
ここから数十分間は僕にとって衝撃的なことだった。

アルトゥールは教室から出て来たその群衆の中から女友達を見つけると、名前を呼んでこっちに来させ、ハグをしたのだった。
そして何かウクライナ語で会話を交わしてから僕の紹介となる。
"Nice to meet you"とあいさつし、握手を交わした。
その友達と話しているうちにもアルトゥールが次から次へと友達を呼び止めるので、ひっきりなしに握手をし、友達の名前を言われても、誰が誰だか分からなくなった。

中庭に出るまでに20人くらいとは1度に顔見知りになったのではないだろうか。
アルトゥールに「今度はセーターの上に"I'm ○○. Nice to meet you."って書いて来た方がいいかもよ」って冗談を言われた。
自己紹介の嵐に圧倒されたが、それに加えて驚いたことは、女子率の高さである。
20人中男子はせいぜい3,4くらいだったと思う。
大学ではほとんどいつも野郎だけでからんでいる僕としては、かなりショックが大きかった。
ここでは男子1人に対して女子が3,4人という形で会話するのも普通だというような感じである。
中庭で一息ついたのも束の間で、アルトゥールがすぐに他の女の子たちを見つけて話しだしたので、また自己紹介をしだすはめに。
端から見ればかなりうらやましい光景だったかもしれないが、慣れない境遇に僕は戸惑いを感じた。
中庭

全てのものが不思議に見えたので

朝食が終わるとアルトゥールは授業があるので大学へ。
すぐに帰って来るというので僕は家でまったりしておくことに。
PCを自由に使っていいということで、メールのチェックもできて非常にありがたい。
言語設定で日本語が使えるようにもしてくれた。
部屋にある雑誌やテレビを見て、ウクライナの生活に触れてもいいということだ。
朝食をとったテーブルには大量の食べ物、飲み物が置いてあった。
食べきれないほどの食べ物で相手をもてなす。
これがウクライナのスタイルなのだそうだ。
アルトゥールが家を出ると、僕は部屋でくつろぎつつ、周囲のものを観察し始めた。
全てのものが目新しく感じられたからだ。
今僕が座っているソファーベッドは非常に大きく、168cmの僕なら余裕で寝転がってくつろげる広さだった。
普段は189cmのアルトゥールが使っているのだから広くて当然なのだろう。
189cmもあれば日本ではトップクラスの長身だが、ウクライナでは彼より大きい人は普通にいるのだそうだ。
パソコンもなんか違う。
キーボードがキリル文字が書かれている。
雑誌は全てウクライナ語で書かれているので読めず、軽くめくってみる程度にして、テレビをつけてみた。
チャンネルは英語表記なので操作は可能だった。
訳も分からないウクライナ語の放送を眺めてウクライナ文化に触れてみようとしたり、英語に切り替えてニュースを見たりした。
相変わらず英語でも何言っているのかよく分からない。

テーブルに置いてある食べ物も試してみた。
満腹になるまで朝食を食べたので、少しつまむ程度だったが、パンに黒いものが練り込まれているやつを食べてみた。

見た目から始めはチョコレートだと思っていたのだが、食べてみると全然違った。
後でケシの実だとアルトゥールに教えてもらった。
飲み物も水を飲もうとして未開封のボトルを開けると、「プシュ」っと中のガスが漏れる音がした。
水だと思っていたものは炭酸水だった。
普通の水を飲みたかったのだが、キャップを開けてしまったので少しコップに注いで飲んだ。
僕は「わざわざおもてなしのために炭酸水を用意する必要はないのに」と思った。

ソファーの上でごろごろしていると、ルーダが部屋に入って来た。
ルーダは英語が喋れないのでウクライナ語で話しかけてくる。
何を言っているのかは全く分からないけど、テーブルの上の食べ物をいじっているところをみると、どうやら「遠慮せずに食べなさい」ということを言っているらしい。
1度消していたテレビをつけだしたりもした。
アルトゥールが出て行く前に僕に言ったこととほとんど同じようなことを説明してからルーダは部屋を出て行った。

キッチンは改修工事が行われていた。
調理は廊下のテーブルで行わなければならない。
この家に来た日、廊下に調理器具が置いてあり、アルトゥールがその理由を説明してくれていたが、ようやく意味を飲み込んだ。
アルトゥールの部屋には長細い木材が置いてあるし、工事中の部屋には業者らしきのいかつめの中年男性が出入りしている。

2時間くらいしてアルトゥールは帰って来た。
アルトゥールにテーブルに置いてある炭酸水ではなくて、ミネラルウォーターがほしいと言ったら、彼は少し意外そうな顔をした。
ウクライナでは、炭酸水の湧水があり、ミネラルウォーターは炭酸有りと無しの2種類あるのだった。

初めての朝食は

2011年9月12日(月)

昨夜は1:30くらいに寝たと思うが、目が覚めたときにはテレビの横に置いてあるデジタル時計の時間は6:00にすらなってはいなかった。
こちらに来るまでに時差の関係で5時間長く起きていて、機内でも1時間ほどしか寝ていなくて相当疲れていたはずなのに、気が張って眠れなかった。
アルトゥールは折りたたみベッドの上でまだ眠っている。
彼が起きるまで、この旅行の始まりから昨日の夜までの出来事をノートに記録し始めた。
これは日本で旅行カバンを探していたときに、店の人がくれたアドバイスだった。
まだ部屋の中は薄暗かった。

アルトゥールが起きるとルーダが食事の用意を始める。
部屋に小さめの丸テーブルとイスを入れてもらい、そこで食べる。
昨日遅くに食事をしたのに、朝食のときにはとてもお腹がすいていた。
食事は昨夜出されたものと同じだったが、昨日よりも美味しく感じられた。
昨日は初めて口にする味が多かったので、どこかしら違和感があったのだが、それが無くなったからだと思う。

アルトゥールの寝ていたベッドの寝心地はあまり良いものではなかったようだ。
少し体を痛そうにしていた。
折りたたみベッドは長身の彼にとっては小さすぎたのだった。
普段は僕が使わせてもらったソファーベッドの上で寝ているのだという。
僕は「この家に居候させてもらっている身なのだから、交代してもいい」という意味のことを言ったが、アルトゥールは「君はお客さんなのだからくつろいでくれたらいい」と言ってきかなかった。


食事に加え、今日は飲み物が用意されていた。
どちらも日本では見慣れないものである。
1本はKBAC(クワス)という飲み物で、僕がウクライナに来たときに飲みたいと言っていたのを彼が覚えていて、買っておいてくれていたのである。
クワスとは黒パンを発酵させて作った飲み物で、大学の先輩でロシアに留学していた人からこの飲み物のことを知った。
先輩に「くせになる味」「一度飲んでみたらいいよ」と言われたので興味があったのだった。
見た目はビールみたいに泡が立っていて、黒パンの香りがする。
飲んでみるとほんのりと甘く、少し炭酸が入っていた。ひと口目は湿ったパンを連想させる匂いに違和感を感じたが、ふた口目からは全く気にならなかった。
アルトゥールに感想を聞かれたが、僕は"Strange but good"(変な感じがするけど、うまい)と答えた。
ちなみにクバスには1.2%ほどのアルコールが含まれていた。
2本目の飲み物はいちじくのような果物の絵が印刷された紙パックに入っていて、"pomegranate"と書かれていた。

もちろん日本ではこんなものは飲んだことがない。
味はというと酸味があり、すっきりしていて飲みやすかった。
アルトゥールに再び感想を聞かれたが、また"Strange but good"と答えた。
ウクライナには食べ物にせよ飲み物にせよ、日本では口にしたことの無いものがたくさんある。
味覚さえ慣れれば問題なくなるだろう。

約束した空港で

2011年9月11日(日)

夜10:40を過ぎたころだったと思う。僕の乗っている飛行機はキエフのボリスポリ空港に到着した。朝の9:30に関西国際空港を出発し、2度の乗り換えを行うというハードなフライトだったが、人生初めてのフライトはこれでひとまず終了となった。
気圧の差で耳が痛くなり、地上にいる今も痛みが残っているが、無事着陸したことに安堵の気持ちが湧いてきた。

あとはアルトゥールと無事に会うことができさえすれば。
僕と彼に飛行機の便名と到着時刻を伝えていた。
お互いの連絡先と顔も分かるようにしておいたが、これまでに一度も会ったことのない仲なので、最後まで気を抜けない。

荷物も無事に届いていた。キャリーバックを転がしながら出口へと向かう。
手にはアルトゥールからもらった誕生日カードが入った封筒を持っている。
僕を見つけやすくなると思ったからだ。

ゲートの向こう側には、僕たちと同じように誰かを待っている人たちが通路に沿って立っていた。
その人たちの顔を写真で見た顔と照らし合わせていく。
思ったよりも彼は早く見つかった、彼もすぐに僕だと分かったらしく手を振った。

"Nice to meet you!"とハグで挨拶。
"How are you?"と彼が尋ねる。
"A little tired"と返事する。
僕の英語の能力はそこまで高くないが、始めの感触は上々である。
しばらくすると、アルトゥールの父親ヴィクトアがやってきて、握手をした。
彼は写真で見るよりも大きかった。

空港からはキィーヴ市内にあるアルトゥールの家まで車で送ってもらう。
バッグをトランクに積んでもらうと、ヴィクトアは運転席、僕は助手席に乗せてもらい、アルトゥールは後部座席に座った。
アルトゥールは大学から近い祖母の家に住んでいて、両親と弟のジョージとは別に暮らしている。
アルトゥールは中学生くらいの年のころにアメリカにいた帰国子女、ヴィクトアもアメリカの大学に通い、仕事でアメリカに滞在したこともあるため、英語での会話が可能である。

日本とはすでに違う車外の風景を眺めながら彼らと会話を交わした。
僕は基本的に聞く側で、建物や橋についての説明について話してくれた。
ウクライナの風景は日本とどこか似ていてどこか違うとそのとき思った。
もちろんハイウェイの道路はアスファルトで、道路のわきには広告看板が建っている。
けれど電灯のポールがかなり高く、それらが短い間隔で並んでいるのである。
遠くの別の度道路を見ると、ややオレンジがかった電灯の明かりが高いところで横一列に並んでいて、イルミネーションのようにきれいだと思った。
この様子をデジカメで撮ろうと試みたが、ぶれてしまって上手くいかなった。
車の中では割と楽しく過ごせられた。
英語を完全に聞き取ろうとするのではなく、全体で何を言っているのかを理解しようとすれば、聞き取れないところがあっても大丈夫だった。
まれに何度説明してもらっても分からずじまいのこともあったが。

アルトゥールの住むマンションの駐車場に車を停めてもらい、ヴィクトアとはここで別れた。
アルトゥールがキャリーバッグを持ってくれた。
いろいろしてもらうのも悪いので、自分でやるよとは言ったのだが、そこは「いいよ、いいよ」といった感じでお言葉に甘えることになった。
外の空気は寒く感じた。気温は10℃くらい。
日本はまだまだ夏の暑さがピークを過ぎたといっても残っていて、僕は半そで半ズボンで過ごしていた。
日本を出発するときは向こうの寒さに備えて少し暑く感じた薄手のズボンと長袖Tシャツを着て来たが不十分だった。
だからといっても服はキャリーバッグの中にあるので家まで我慢した。

家の玄関の扉を開けると薄暗かった、アルトゥールが祖母のルーダを呼ぶ。
辺りを見回していて視線をよそに向けたときにやってきていて、気付いたら目の前にいて面食らった。
ルーダともハグで挨拶を交わした。

簡単な挨拶を済ませると、彼の部屋に案内された。

今日から数日間、ここに滞在する予定だ。もともとアルトゥールの部屋で、ここで共同生活を送る。
それからはウクライナの他の都市を旅行していくプランを彼と相談して決めていこうと思っている。

ルーダは夜遅いのにもかかわらず、お茶の用意を始める。
僕はあまりお腹が空いていなかったので、あまり乗り気ではなかったのだが、せっかくもてなしてくれるのを断ることはできなかった。
部屋のテーブルには、山のように食べ物が用意されている。
パン、チーズ、ソーセージなどである。

ひと通り試してみたが、どれも日本のものと微妙に味が違う。
でも美味しかった。

ソーセージはフィニキ・ソーセージという、フィンランド生まれのものだった。
皮は固くて食べにくいので歯で皮を剥ぎとって食べる。
お茶はレモンティーがでた。

アルトゥールは日本に興味を持っていて、ときどき日本のドラマやアニメを見る。
日本語を少し知っていて披露してくれたが、朝は「おはようございます」、夜は「こんばんは」、ひるは「がんばれ」と言われ本気で笑った。
僕は「がんばれ」の正しい意味を教えた。
アルトゥールは日本人がよくこの言葉をよく使うことはすでに知っていた。おそらくドラマやアニメから得た知識なのだろう。

お茶をいただいた後は、夜も遅いので歯を磨いてシャワーを浴びた。
歯を磨くために部屋を出たのだが、ここ家に洗面所といものはなかった。
シャワー室らしきところに入ると、洗濯機が正面に、その隣にバスタブが置いてあるのみである。
シャワー室の浴槽を洗面所として使っていた。

歯を磨き終わったら、いったん部屋に戻ってシャワーを浴びる準備をする。
アルトゥールに「がんばれー」と上機嫌で言われ、ずっこけそうになった。

何をシャワーで頑張るんだと思って服を脱いでいざシャワーを浴びようとしたとき、どうやってシャワーを浴びたらいいのか分からないことに気付いた。
シャワーと蛇口の切り替えの仕組みが日本と違ったのだった。
それにどれがシャンプーでボディーソープなのか分からない。
アルトゥールを呼んでシャワーの出し方を教えてもらった。
蛇口の根元にある栓を引っ張ると、シャワーになることが分かった。
結果としてアルトゥールの言った「頑張れ」は間違いではなかった。