このブログの背景

人生初の海外旅行がウクライナだとは誰が想像しただろう?

アルトゥールと知り合ったのはFacebookがきっかけだった。
僕がFacebookを始めた当時、周りの友達は誰もこのサイトを使っていなかったので、試しに適当に友達申請したらたまたま彼が含まれていたのだった。
しかし、実際にあったこともない友達と交流しても楽しい訳はなく、その後はしばらくFacebookを使わないでいた。

数ヵ月後、僕の周囲にFacebookが普及し始め、久々に再開しようかとログインしてみると、メッセージが1件あった。
それは東北大震災で日本のことを心配するメッセージであった。
地震はひと月も前の出来事で、メールもその直後に来てたので、大分遅いながら律儀に気遣いに対する感謝のメッセージを送ると、翌日には返事が返ってきた。

その後僕らはほとんど毎日メッセージを送りあった。
まだ英語を使い慣れていなかった時期で、相手のメッセージを辞書で確認しながら読んでいたくらいなので、返事を書くまでに多くの時間がかかったが、せめて自分が信用における人間であるということを知らせるために、毎日返事をするのは大切だと思っていた。

始めは差し障りのない話ばかりしていたが、彼の方から彼の家族のことなど、プライベートなことまで話すので、それにつられて僕も徐々に打ち解けていった。
ウクライナはチェルノブイリ原発事故があったところで、それゆえフクシマの事故を心配してメッセージを送ってきたのだとそのときに納得した。

彼と毎日文通を続けた結果、数ヵ月後には送りあったメッセージは100を超えた。
ここまで続いたのは互いに真面目な人間だったからで、僕は彼を信用の置ける人間だと考え始めていた。
いつか直接会って話がしたいと互いに思うようになっていた。

しかし、ウクライナという国は日本人にとってあまりなじみのない国である。
周囲の友達もよく海外に旅行に出かけるが、行くところといえば東南アジアかアメリカ、ヨーロッパの有名な国が大概だった。

昼休み、僕は友達と教室で昼食をとっていた。
Facebookでウクライナの友達がいて、とても仲がいいからいつか会いたいと思っているということもそのとき話した。
そのとき何を思ったのか、夏休みを利用してウクライナに行けるのではないかという考えが突然ひらめいた。
スケジュールを確認してみると、ちょうど2週間何も予定のない日が作れることが分かった。
僕と一緒に食事をしていた友達は春休みに海外旅行に行ってきたばかりだったので、彼に旅行のために何を準備すればいいか聞いた。

彼のアドバイスをもとに僕はパスポートと航空券を手に入れることにした。
家族は僕がウクライナに行くことに反対することが予想されたため、内密に事を済ませることにした。
アルトゥールは僕のウクライナ行きを喜び、海外の航空券の比較サイトを紹介してくれた。

パスポートと旅券が手に入った後、僕は家族に旅行の計画を明かした。
予想通りの驚きぶりで、父はウクライナ人の彼が本当に信用できる人間なのか確かめるように、しつこく言ってくるので僕は心配になった。

その夜僕はアルトゥールに家族で話し合った経緯を説明した。
僕は彼のことを信用しているが、あくまでネット上でつながっているに過ぎないので、念には念を入れて確認させてほしいと。
彼の対応はとても丁寧で、翌日の決まった時間に国際電話をかける事に決めた。

電話をかけるとき、僕は大学の図書館の外にいた。
こっちの時間が夕方だと、向こうは昼時になるので互いに都合がいいと思ってこの時間にしたのだ。
初めてかける国際電話の無駄に長い数字の羅列を打ち込み、応答を待った。
数秒後、受話器の向こう側から声が聞こえたとき、僕のテンションは最高潮に達した。しかし電波が悪いためかノイズがひどくて声は聞こえるのだが、何を言っているのかはさっぱり分からない。
相手の問いに返答できないもどかしさを残しながら電話は切れた。

僕はすぐに図書館に戻り、Facebookを確認した。
すると彼も同じことを考えていたのか、メッセージが送られてきた。
それは向こうもいましがたの出来事に感動したことを伝えるものだった。
僕らは互いにawesomeという言葉を送った。

これにより僕の彼に対する思い込みは確信へと代わり、親も取り敢えず納得したため、僕の心の負担は大分軽くなった。
しかしまだ直接会えた訳でもないので、不安は残っていた。
関空にて出発を待つ

0 件のコメント:

コメントを投稿